― アート ―

北村修一の残した「絵」と「文章」の一部を紹介するコーナーです。

  「イメージの弁証法」は2002年に発表した作品集の巻頭文です。
  (建築ジャーナル別冊「KITAMURA ASSOCIATES 1980~2002」より)

イメージの弁証法」 北村修一 (文中敬称賂)

 これがキタムラアソシエイツの初めての作品集となる。
近代建築の巨匠ル・コルビュジエの作品集・全8巻の第1巻の序文
の文頭を見ると、初めて作品集をまとめることとなった彼の戸
惑いが率直に記されている。

「これが最終総括となって、私たちの発展をとめ、死んだ状態に
置くようになっては悲しいことだ。私は42歳になったが、学生で
あることを止めていない」。ここに私たちも、全く同様な思いか
らこれと同じような戸惑いを覚えることになった。

およそ建築家には、ミース・V・D・ローエのように生涯を通して一
定のテーマの下に一貫した作風の強固な作品群を創るタイプ
と、ル・コルビュジエのように次から次へと新しいテーマに挑戦
し、実に多彩な作品群を創るタイプとがある。

国内の建築家において言えば、安藤忠雄が前者にあたり、丹下
健三が後者にあたる。そして私白身に関して言えば、明らかに
後者のタイプなのである。
それはわが師の師にあたるエーロ・サーリネンや村野藤吾の強
い影響力によるとも言えるのだが、また一方で、もともとビート
ルズやピカソ、ベートーペンやカンディンスキーなどの、多様な
作品群を残すタイプの芸術家を好むという、私白身の性向から
きているものとも言うことができる。

  「ものを創る」ということ、それは「無限の可能性の中から
たった一つの回答を得る」こと、と私には定義することができ
る。こうした意昧からすれば、過去の作品と明日の作品との間
には不連続が前提となる。そこに何らかの連続性があるとすれ
ば、それこそが「創作」という名の「意志」ということになって
くる。

 「建築すなわち革命」とコルビュジエが宣言したのも、このよ
うな創作の意志を表したものだったはずである。またこれは数
学にたとえるならば、微分することに似ているとも言える。
ある一定の創作活動とは、常に不断の「創作ヘの意志」によっ
て形造られた結果であって、そこに作品が生まれてくることに
なると言えるのである。

一方、こうして残った作品を集積し作品集を作るという作業は、
まるで微分とは逆の積分をすることのようでもあり、微分的性
向の人間にとっては、全く逆方向のベクトルを引き受けることを
意昧する。作家が作品集を作ることの戸惑いとは、きっとこのよ
うなことなのである。

 「建築作品」の微分関数が「創作の意志」であるとすれば、こ
の「創作の意志」を数学のようにさらに微分することはできない
ものだろうか。それはきっと俗に「創作の秘密」と呼ばれるよう
なものをのぞき見ることだろう。

しかしそれを試みる格好の材料がここにある。それは冒頭に挙
げたル・コルビュジェの作品集・全8巻である。この作品集は、
彼のこうした思いから、まるで創作日記のように処女作から最
晩年の作品までを、ただ単に年代順に時系列で順番に並べた
だけのものである。

これを注意深く観察してみると、そこに一人の作家の内なる革
命の歴史と、それゆえの一定の法則性が見えてもくるのである。
それはヘーゲルが近代フランスの歴史から得た「史的弁証法」
そのものであり、言い換えるならば、まるで「イメージの弁証法」
とでも呼ぶことのできるようなものなのである。

 キタムラ・アソシエイツの初の作品集を作るにあたり、最初は
コルビュジェの作品集と同じように、ただ単に歴史どおりに年代
順に並ベてみることを考えた。
それは私の大学時代の懸賞論文「場の理論・序説」、そして20才
代後半のドゥローイング集「GAディテール・シリーズ」の「ファ
ンズワース邸」から始まる一連の、そして入り組んだ大河のよう
な流れ、さまざまな実作の試行をくり返しながら、次第に20世紀
末の時代性に収斂するような、さらに新しい世紀に向けての新
たなる試み、である。

しかしそこにも、いくつかの年代によっての一定のテーマや作
風のようなものが、時には意識的であったりまた無意識的であ
ったり、強まったり弱まったり、また相前後したりしながら現れて
いることが、自身で読み解くことができるようにも思われた。

それはものを創る人間にとってはとても危険なことではあって
も、そのこと自体は充分に意義のあることであり、また必要な
ことでもあると思われた。それは少なくとも、また良くも悪くも、
紛れもなく今日の私たちの「創作」に強く影響を及ぼしている
ものでもあるからである。

 この作品集には便宜上7つのテーマが用意されている。
「ミニマリズム」「アーバニズム」「ハイテック」「ジャパネスク」
「カーニバル」「モデュロール」「プロジェクト」。
しかしこれらは私たちの創作の主題というわけでは決してな
い。それぞれの副題、「結晶としての建築」「都市としての建築」
「技術としての建築」「和としての建築」「祝祭としての建築」
「音楽としての建築」「永遠の導関数」が示すように、私たちが
現在考える建築の持つさまざまな重要な側面が、私たちの作
品によって解き明かされるように語られているというもので
ある。
従ってそれぞれのテーマは対立する概念であったり、階層が
異なる概念であったりもする。あくまでこれらはキタムラ・ア
ソシエイツの20有余年の「イメージの弁証法」の過程で生まれ、
たまたま今日にまで残ったものたちの断片といえる。

 しかし、7つのテーマをもって何らかのストーリー性を与え
ることも不可能ではない。たとえば、コルビュジエにならって
時系列に沿って並べてみれば、それはミースの「ファンズワー
ス邸」のプロポーションの研究から始まっている。
それはやがてコルビュジエのモデュロールをヒントにしたKIA
(Kitamura Associatesの賂)モデュールの独自開発へとつな
がり、これが一連の黄金比を強く意識した作品、例えば「鈴鹿
明神参集殿」(1982)などを生むに至っている(KIAモデュ
ールの元となる「モデュロール」の元の黄金比とは、元々は古
代ギリシャ時代からの建築作法である)。

 こうした古くからのツールによって、逆にいかに近未来を切
り開くことが可能かを模索したものが「YKK50ビル」(1984)
や「佐野弥生高校格技場」(1985)などの「ハイテック」シリー
ズである。しかしこの頃、時代はバブル景気を背景とした「ポ
ストモダン」のデザインが主流となった時代であった。
キタムラ・アソシエイツでは、モダニズムに疑問を持ち伝統や
遊び心を重視するには、「和」を今日に問うことこそが有意義
であると考えた。それが「都雀亭」(1991)などの一連の「ジャ
パネスク」シリーズを生んだことになる。

 しかし饒舌な建築はすぐに飽きられる。私たちはいち早く
「ネオ・モダニズム」をかかげ、「メソンリー・キュービック」
(1988)などの「ミニマリズム」シリーズに転向したのである。
そして強い建築の単体性は、逆に広い都市への関心を高め
ることにもなる。
こうして「厚木精華園」(1993)などの「アーバニズム」が主
題となると、それは都市そのものの魅力の本質「カーニバル」
性へと目が向いてゆく。

このとき世の中は、世紀末の「デコン」全盛の時代にもなって
いた。しかしこうした一連の実作の牽引役を担ってきたのは、
実はこれとほぼ同数にも及ぶ数多くの「プロジェクト」たちな
のである。
現に今、私たちは新世紀の幕明けにふさわしいと考えるプロ
ジェクト、「大エジプト博物館」や「小田原警察署」、「青本邸」
などのプロジェクトを手がけている。

 それでは、私たちの現在のテーマとはいったい何なのだろ
うか。それは新しい世紀の始まりを強く意識したものであり、
再び「ミニマリズム」から出発しようと考え始めている。
そしてこれにさらに何かを付け加えるとするならば、広い環境
的視野、少なくとも都市的な配慮というものを考えたい。こう
した思いがこの作品集の構成にいくらかなりとも関係してい
ると言えなくもない。

 しかしこれとても私たちの創作、「イメージの弁証法」の一
過程の一様態にしか過ぎない。AがBを生み、左が右を生む。
思えば私の血液型は新析衷主義の前衛・磯埼新と同じAB型で、
さらにはルネッサンスの天才ダ・ヴィンチと同じ左右両手ききな
のである。
おそらくは今後さらに私たちの創作の多彩さは広がり、やがて
は仮のテーマを与えることすらも困難となってゆくことだろう。
それは私たちの望むところでもある。

 冒頭のル・コルビュジェの作品集の序文の末尾は次のように
締めくくられている。「人間の創造は、ある時になってまちが
いない明確さを持つようになる。それはひとつのシステムを
形成する。それはやがて名がっけられ博物館におさまる。
これが死だ。新しい考え方、新しい発明が生れ、すべてを問い
なおす。

停止することは不可能だ。 ・・・新しい世代があらわれて来る。
 ・‥現状では想像できないような偶発事が明日起こるかも
知れない。そのため今日を心配することはない。
新しい時代の黎明に過ぎない」と。以後コルビュジェは、作品
集の巻を重ねる度に彼白身が何度も若き建築学生として生ま
れ変わり、結果的には合計8巻にも及ぶ作品集を残すこととな
った。

1992年

「ヴェローナ広場」1997年

「ワインギャラリー・ヨシムラ」1985年

「かさごを釣る人」2005年

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